文化系クルマ好きの教科書『NAVI』【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」6冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」5冊目
そこにぴったりハマったのが『NAVI』だった。自動車業界やカーマニアだけの閉ざされた世界ではなく、社会に開かれた雑誌。『NAVI』は、単なる自動車雑誌ではなく「自動車文化雑誌」だった。
それは特集タイトルにも表れている。バブル全盛の1990年1月号は「当世高級(車)事情」。自動車雑誌でありながら車を( )に入れるのが心憎い。「ドイツを盗む」と題された同年12月号の特集には「東西ドイツ統一記念!」のサブタイトルが付されている。1997年8月号「“ワオ!”のイタリアvs“深み”のイギリス」のように比較文化論的な特集もあった。自動車という存在は社会状況、国際情勢などと無縁ではありえない。
1993年11月号では「55年体制崩壊記念! 秋の夜長の座談会特集」と謳う。特集扉のリード文も骨太だ。〈自民党長期政権の崩壊、細川連立政権の誕生、そして1ドル=100円時代の到来。歴史に留められるべき1993年体制の現実を、NAVIが《自動車》をキータームに、最も現代的なひとびとの座談会5連発でもって解きあかす。読者に根気を強いる巻頭特集、アナタは最後まで読み通せるか!?〉と煽ってくる。
現在の政治・経済状況とのギャップに呆然とするが、座談会のほうも隔世の感あり。同誌の主要執筆者でもあった自動車評論家の徳大寺有恒と新党さきがけ(当時)の若手議員・田中甲による「政治とクルマ」対談に始まり、伊藤輝夫+佐々木勝俊+渡辺和博という当時の放送・出版界の人気者による「ナベゾ画伯(渡辺和博)が次に買うクルマ」会議、自動車ブローカー・不動産会社社長・ふぐ料理店経営者によるバブル回顧、イケイケOL(死語)座談、東京在住の外国人クリエイターによる日本文化談義と続く。
今読み返すと「私はポルシェの、いわゆる年代ものから今のヤツまで全部揃えて乗るというのがやりたかったんです。毎日、服の着替えじゃないけれども、今日は356のスピードスター、明日は73のカレラとかね、それを全部揃えたって、しれた金ですよ」なんてバブルのむちゃくちゃな話に目を剝いたり、「森瑤子って、書くものに、きちんとした視点があるじゃないですか。だから、ドぎついかんじがあるのに、林真理子みたいに反感わかないんですよね」というOLの言葉に苦笑したり。が、それがあの時代の感覚だったのだ。
一方、1996年6月号の特集「遠くまでゆくんだ」などは、もうタイトルだけでグッとくる。私が初めて自分のクルマを持ったのは会社を辞めてフリーになった翌年の1992年だったが、「いつでもどこへでも行ける!」という“移動の自由”に喜びを感じた。それこそクルマの本質的な魅力のひとつだろう。
MGFで東京から神戸まで、トヨタ・メガクルーザーで信州まで、新旧シトロエン3台(CX、XM、エグザンティア)で四万十川まで……。誌面で展開された長距離ドライブは、今の自分には体力的に厳しいが、まだ若かった当時は「楽しそう」と心が躍った。実際、最初の愛車ローバー114で東京から伊勢志摩まで行ったことがある。ローバー114は超マイナーな英国の小型車で、設計自体が古くパワステなしでハンドルは重いわ、高速道路でちょっとスピード出すとビリビリ振動するわで、なかなか大変だったが楽しかった。
その114に7年7万㎞ぐらい乗ったあと、一目ぼれしたアルファロメオ156に乗り換え。よく走り、よく曲がる楽しいクルマだったが、昔ほどではないにせよ、そこはやっぱりイタリア車であるからして、トラブルは多々あった。12年9万㎞ほど乗ってかなりガタがきたところでシトロエンDS3に乗り換え、今もそれに乗っている。ちなみに、3台ともオートマではなくマニュアル。何事も自分で決めたい性格なので、ギアも自分で変えたいのだ。
その程度にはクルマ好きであり、かといって暴走族、峠族、ローリング族と呼ばれるような体育会系カーマニアとは相容れる部分がなく、セレブな高級車ユーザーとも分かち合えるものはない。ヒール&トウなんて運転技術より、むしろ都内の混沌とした道路状況でいかにスマートに運転するかのほうを重視したい自分のような文化系クルマ好きにとって、唯一無二の教科書的存在が『NAVI』だった。